角膜(黒目のこと)に所見が現れ、角膜所見でその疾患の診断が付くという話を別の機会にお話しますと言っていましたが、今日は、その話をします。
 
 昔、大阪市内のとある病院に勤務していたころの話です。ある入院患者さんが、院内紹介で眼科を受診されました。このように同じ病院の内科や外科など眼科以外の科から紹介されてくることを「院内紹介」といいます。その患者さんは糖尿病があるとのことで、眼科へ紹介されたわけです。ご存知のように、糖尿病があると眼底に糖尿病網膜症といいまして、眼底出血や白斑などの変化がでることがあるので、それがないかどうかを検査するのです。


 当時、僕は、眼科の中でも一番下っ端でしたので、このような患者さんは僕が診ることになっていたわけです。上司の先生が、「細谷君、この患者さん、診ておいてくれますか?」と依頼されました。

 型通り、視力、眼圧を測り、散瞳薬で散瞳(眼底検査のために瞳を開くこと)し、スリットランプで診察し、その後、倒像鏡で眼底検査をしました。眼底の方は、異常がなく、この患者さんにとり幸いなことに糖尿病網膜症はありませんでした。しかしながら、問題は眼底ではなく前眼部といって眼球の前の方にあったのです。何度も何度も見ました。どう見ても、角膜がおかしいのです。角膜の内側、特に角膜の周辺部の内側がおかしいのです。どうおかしいかというと、周辺部の角膜の内側が、褐色といいますか茶色く見えるのです(図1参照)。何度みてもそうでした。ある部分では緑味を帯びていました(図2参照)。角膜の全周がそうでした。昔講義で習い、アトラス(症例の写真集のこと)でしか見たことのない「あれ」だと直感しました。「あれ」とは、「カイザー・フライシャー輪」のことです。これは普通の診察ではなかなか出会うことのないもの(約3万人に一人という発症頻度)ですが、この所見だけで診断的価値があるといわれる非常に重要な所見です。これは角膜の内側、デスメ膜というところに銅が沈着している所見なのです。「ウイルソン病」という病気で、セルロプラスミンという銅を運ぶタンパク質が欠損していて体のあちこちに銅が溜まり、障害を起こす病気です。体の中の肝臓、腎臓、脳のレンズ核、そして眼では角膜に銅が沈着(たまること)します。肝臓では肝硬変を起こし、脳に溜まった銅は、いろいろな神経症状を起こします。角膜では視力への影響はないものの、この方のように特徴的な所見となって、この所見だけで診断的価値があるとされています。角膜のデスメ膜というのは角膜の内側にありますので、この方のように角膜の内側が独特の色調を呈するのです。またデスメ膜は隅角というところのシュワルベ線という部位で突然終わりますので、隅角鏡検査で、このシュワルベ線で突然、茶色い色調がなくなってそれより周辺部は白い色になるのが観察されます。この患者さんの場合でも、隅角鏡検査で同じような所見が見られました。カイザー・フライシャー輪に間違いがなく、ウイルソン病であると確信しましたので、紹介してくださった内科の先生宛の返事に、ウイルソン病が疑われますので、血中のセルロプラスミンを測定してくださいと返事しました。その結果、セルロプラスミンは低値でありウイルソン病と診断がつき、内科の先生から随分と感謝されました。それまで、内科ではこの疾患とは疑っていなかったので、それが分かり、また肝硬変の原因も分かった訳で、今後の治療方針にも影響するからです。しかし残念なことながら、この方は肝硬変に伴う食道静脈瘤の破裂により亡くなってしまわれました。

 このウイルソン病の治療は体の中の銅を減らすために、キレート剤(銅をくっつけて体外へ排出する)のD-ペニシラミンを内服し、同時に口から入る銅を減らすため、銅を多く含む食品(ピーナッツ、チョコレート、肝、貝類、甲殻類など)を極力摂取しないという治療をします。これにより角膜の銅が少しづつ減っていき、カイザー・フライシャー輪も徐々に色が薄くなっていくと聞いていますが、まだその様子は見たことがありません。
  この最初の患者さんを診察した20年後くらいに別の病院でも、1例目の方よりもっと若い女性の患者さんで同じ角膜所見を発見し、血液検査の結果、ウイルソン病と診断したことがあります。その方は、治療のために大学病院に行かれたので、その後のフォローはできませんでした。今、どうしておられるか心配ではあります。


 いずれにせよこのウイルソン病は遺伝性の疾患で、常染色体劣性遺伝の病気です。珍しい疾患ではありますが、このように角膜所見が診断の決め手になりますので、眼科医が病気の第一発見者になる可能性の高い疾患です。青年期中ごろからこの角膜所見は現れるといわれています。この疾患は、進行すると肝硬変から肝不全、食道静脈瘤破裂、感染などにより死亡するといわれています。早期に発見、診断して治療を開始する必要がありますので、眼科医の責任も重いと思います。またアメリカでは、肝臓移植の対象疾患としてもよくその名を聞きます。
   

                                                                 2019(令和元)年6月21日記す

図1.ウイルソン病の患者さんの角膜の写真。矢印の部分が茶色い色調を帯びているのが分かる。角膜の全周を取り囲むように銅の沈着が見られる。                                

細谷比左志:写真セミナー.ウイルソン病.あたらしい眼科31,(10),1471,2014より許可を得て引用。

図2.ウイルソン病の患者さんの角膜の拡大写真。青矢印の部分が茶色い色調を帯びており、黄色矢印の部分はやや緑っぽい色調であるのが分かる。                                                                                          

細谷比左志:写真セミナー.ウイルソン病.あたらしい眼科31,(10),1471,2014より許可を得て引用